【命の重さ】世の中を変えるには【汝の隣人を愛せよ】

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先にお断りしておきますがきょうの記事、かなり乱暴です。

たぶん大多数の人が不快感を催す可能性のある記述が多く含まれます。

 

自分の中でもまだまだ固まってないし、明確な結論も出せてないし。

誰か何かを攻撃したり、世を儚むようなスタンスではありませんが話の構成上そういった思想に拠る部分がございます。

ご承知の上、興味のある方のみ先にお進みください。

 

 

ある意味きょう書きたいことはこの台詞に凝縮されているかも。

「地球に住む者は自分達のことしか考えていない!だから抹殺すると宣言した!」

「人が人に罰を与えるなどと!」

「私、シャア・アズナブルが粛正しようというのだ、アムロ!」

「エゴだよそれは!」

 

「地球は人間のエゴ全部を飲み込めやしない!!」

「人間の知恵はそんなもんだって乗り越えられる!」

「ならば 今すぐ愚民ども全てに叡智を授けてみせろ!!」

 (機動戦士ガンダム 逆襲のシャアより引用)

 

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

 

ガンダム好きですまん。

見たことない方はぜひ1st、Z、逆シャアまではご覧ください。一見の価値あり。

アニメが嫌だってかたは小説をおススメします。架空戦記ものとして面白く読めます。

 

機動戦士ガンダム I (角川スニーカー文庫)

 

 

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「愚民ども」に対して怒りを覚えることが、年若い頃にはあった。

自分はとりあえず棚の最上段にでも乗っけておくとして

 

ルールをまったく解しないバカども

容易に他者を傷つけるアホども

他人の気持ちを慮れない愚か者ども

 

みんな消えてなくなればいいのに。

優れた独裁者が現れて、劣った人類を粛清してくれたらいいのに。

 

みたいに思ってた。

 

愚かな人間がいくら繁殖して数増やしたって、自分が愚かとすら自覚できない人間が増えて世の中は劣化するだけだ。

殺人、いじめ、虐待、悪びれずに深く考えもしない愚民どもがはびこるほどに、そうした問題はどこまでも増え続けていくだろう。

 

 

どこかでこの連鎖を断ち切らねばならん。

ヒトは唯一、生き物のなかで明確な意思と言語、それを共有できる英知を持っている。

地球号という船の舵を取れる貴重で有益な存在として、その責務を果たすべきだ。

 

 

…みたいな、無駄に雄大で壮大で中二入ったイタめの思想を、20代の頃はしてた。

いやまあ、いまでも思考の根幹にそういう部分はあるけども。

 

 

いじめを苦にした自殺、通り魔、虐待死。

そういうニュースを見るたびにもやもやしたやり場のない怒りを覚えるのは、今も昔も変わらないけど、年を重ねるごとに「他人事」感が増してきた。

 

 

だってしょうがねえじゃん。どうしようもないんだもん。

 

 

そりゃてめえの身近で起きてりゃ対処のしようもあるよ。身内、友達、知り合いだったら全力で助け舟だって出して、どうにかしようとめいっぱい動くよ。

でも、日本だけで1億からのヒトがいるんだぜ。そりゃどうしようもないさね。

 

 

法制度で縛ればいいってのも考えた。

罰則を重くすればいい。実際、飲酒はそれで事故が減ったよい前例。

 

でもゼロにはならないんだよね。なりえないのもわかってる。

それってのは「見せしめ」をしても意味がないから。

もうちょっと正しく言うと、

「見せしめを見せしめと理解できないレベルのアホが事件を起こすから」。

 

 

「自分だけは大丈夫」「自分だけは違う」という謎の無根拠な自信によって支えられているから、自分の正義だけを振りかざして生きているから、そういう人にいくらものの道理を説いても無駄。

よく「バカは死ななきゃ治らない」というが、バカは死んでも治らない。

それどころか、ばらまいた遺伝子と歪んだ教育の賜物としてのちのちまでバカを遺してくださる。

 

 

基本的人権だの、ヒトの命の重さ、ヒト以外の生き物の命の価値。

そういったものすら「定義」されたのはいったいいつの話だい。

ながーいながーい人類の歴史のなかで、それらに価値を認めだしたのはごくごく最近じゃないのかい。

はたしてほんとうに、ヒトの命は地球より重いのかい。

 

 

わたしは自分至上主義だ。

究極自分さえよければいい。豚も牛も鶏も食う。道端で猫を愛でる。

無意識に無数の蟻を踏みしだき、少しの痒みを与えた蚊を憎しみをもって叩きつぶす。

 

 

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人間以外の生き物を雑に扱う思想はありませんが、人間至上主義ではあります

 

 

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じぶんをとりまく命への愛や慈悲などまるでない。なんて手前勝手なんだろうと、ほんとうにそう思う。

動物だって、昆虫だって、植物だって、細胞だって、細菌ですら、命という一点においては同じのハズなのに。

 

 

だから、じゃあどうすんだよ。

御託はいいから、お題目は聞き飽きたから、具体的に世の中を変えるには、よりよくするためにはどうしたらいいんだよ。

 

 

世の中に限らずだが、ものごとを変えようと思ったときに急速に行うのはリスクが高い。

急に変えたものは急に倒れる。

時間をかけて、辛抱強く、ときには何十年も何百年もかけて、少しずつ少しずつシフトチェンジを試みる。

過去の革命だって改革だって、一見急に起きたように見えて実際はそこに至るまで静かにちょっとずつ膨れ上がった熱がたまたまそこで弾けたにすぎない。

人のほんのすこしの意識が変わって高まって集まって、はじめてなにかは成し遂げられるのだ。

 

 

 気長でまだるっこしいとは自分でも思う。

 でも、ヒトにできる唯一最高のおこないは

 

「自分がなぜそこで生きているかを考えて」

「それを支える多くの事柄に感謝して」

「自分の目の届く範囲内で愛と情熱を持って前向きに生きる」

ことだけ、なんじゃなかろうか。

 

 

いきなり平和的偽善者の結論で我ながらゲンナリだし、めちゃくちゃ絵に描いた餅、理想論であることは認める。

冒頭の引用じゃないがほんとに「今すぐすべての人類に叡智を授けて見せろ」ってなもんだ。

 

でも、もしもそれが叶ったら、あなたがただあなたの隣人に優しく生きることができたなら。

誰もがひとり残らずそうできたならそれだけで世の中は、絶対もっとよいものになるだろう。

…こうしてあらためて書くと「聖書」ってよい書物なのかもしれんなー。

 

 

もっとも、隣人に優しく生きるためには、行き届いた餌が必須。

金持ち喧嘩せず。おなかいっぱいならだれもがやさしく生きられる。

そうなると問題は、食糧事情って話になってくるわけで。

現時点のわたしの手には負えそうにない話題です。

 

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今回の記事はこのかたの文章に触発されて書きました↓

 

過激なことも包み隠さず書くももはなさんのブログ。

サイコパスとご自分をおっしゃいますが、論理的で説得力のある話の組み立てをなさるので楽しく拝読してます。

 

若さゆえの尖った切っ先はなかなか爽快で、読み手が時々不快さを覚えるのも「自分の意見」をきちんと述べられるがゆえ。

 

もちろんすべての意見に賛同できるわけではないけれど、態度をハッキリと意思を明確に、物怖じしない姿勢がとても好き。

however-down.hatenablog.com

 
 

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