口が悪いと損をするけど

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改めて言うまでもなくもう知ってるよ!って話だろうが、わたしは口が悪い。

とても悪い。非常に悪い。口が悪いっていうか、ガラが悪いと言っていいかも。

口が悪い・態度がでかい・馴れ馴れしいがわたしの三大特徴。つか言ってて情けなくなってきたが。

 

口が悪いのは結構昔からのようだ。自覚はそれほどなかったが最古の記憶は中学。

二者面談かなんかで学校に呼ばれた母が担任に「娘さんものすごく口が悪いですけど、おうちでもそうなんですか?」と聞かれたそうな。

わたしは先生には覚えのいい優等生的なコだったので(典型的嫌な奴だな)、たぶん友達とどっかで汚い言葉で喋ってるのを聞かれてそうなったのだろう。

ちなみに母も育ちのいいほうじゃないから、「はあ?」ってかんじのリアクションだったそうだが。

 

自分は思いっきり棚上げするが、言葉の汚い女子はみっともない。

口が悪いことでいいことなんて何一つない。

ざますだのごきげんようだのってレベルのものは必要ないが、ていねいで、他人が安心するような言葉遣いをできることこそ女子として最低限の社会性だし、それでこそヒトから信用も親愛も受けることができる。

 

そこまでわかっているのになぜ手前の悪口を治そうとしないのか。

これは態度がでかいことにも共通して言えることだが、それらがわたしにとって自分を守るすべだからだ。

 

わたしはものすごく気が小さい。めちゃくちゃビビリだ。

他人の顔色伺って、ビクビクしながらウロウロしてる、情けないほどかわいそうなほど小動物の類なのだ。

 

だけど、呑まれて喰われて嘲られるのには耐えられない。厄介なことに心臓は小動物のくせにプライドだけは一人前だからさ。

それで、無理して肉食獣の強さの欠片でも手に入れたいと自然に身についたのが態度のでかさと口の悪さだったわけだ。

アレだ、弱い犬ほどよく吠えるの典型。

 

もちろんオトナとして、最低限オフィシャルな場所では必要な言葉をきちんと使うことはできているつもりだ(つもりだ、あくまで)。

だがプライベートでは、弱い自分を悟られまいと必要以上にふんぞり返ってエセ江戸っ子みたいな乱暴な言葉を操り、トゲトゲした鎧を身にまとって生きている。

 

はむぺむといるとき、わたしに口の悪さはまるでない。

彼が好まないというのはもちろんあるが、彼の前ではがんばって意地張らなくていいから、なんだろうと自分では思っている。強い人間のそばにいるとき、無理して強さを気取る必要はない。

ほんとうの強さを持っているヒトは寡黙だ。吠える必要がないからだ。

 

思春期に比べりゃ少しは成長して、自分はヒトとして強くなったと思う。だからそれらの悪癖はそろそろ改善すべき時期なのかもしれない。

ところがいちど身についたものって、そう簡単にゃ抜けないんだよね。ビビリなのは相変らずだし。

 

だからどうか、この口の悪い大年増を、チワワがキャンキャン吠えてるビジョンを想像しつつ温かい目で許してね。無理な相談だが。

 

 

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 年齢性別社会的云々とか関係なく、ちゃんとしてる人はすべからくちゃんとした言葉を使う。

格別言葉づかいが綺麗であるとか気の利いた台詞を言えるとかではないけど、TPOにあわせた話し方ができる。

社会で生きてりゃまわりのいろんなものに合わせてカスタマイズしていく必要性に迫られるため、当然そうなる。

 

偉くなればなるほどちゃんとした話し方ができる。

ちょっと卑屈なんじゃねーの、と思うくらいちゃんと話せる。

だから、さすがね、って言われるわけで。相乗効果ってやつか。

 

「ちゃんとした」=社会に適合した、とか、もっと言っちゃえば「無難」。

いちいち突っかかっちゃいらんないし、無難な話し方をしておけば他人にいらぬ感情を発生させることもない。

だいたいちゃんとしてる人はちゃんと中身があんだから、それで勝負すればすむことだからな。

 

よくわかる。よくわかってる。

ちゃんとした場面でちゃんとした話し方ができることが、どれほど有利なことか。

 

そういうのわかったうえで、それでもわたしはだからこそ話し方を改善したくない。

 

ちゃんとした口を利くことはいくらでもできるし、日常にそれを取り入れるのも可能だとは思う。

そうすりゃまわりの多くの人がわたしを見る目も変わることだろう。

 

でもなんか違う。

人にはいろんな譲れない部分ってのがたぶんあって、わたしにとっては口が悪いって部分がソレなんだろうな。

 

…うわ、自分で言っててちょっとヤダ。もっと他にねーのかよ。

 

***

 

わたしは誰に対してもタメ語。

接客用の仮面をかぶっているとき以外は基本相手が誰だろうとそれは変わらない。

意識して敬語を使ってても、途中から気が付くとタメ語になっちゃってる。

相手がどんなエラい人でもそれは変わらない。

 

そしてそこには、相手と自分は対等であるというメッセージを込めている。

後付のイイワケではなく、立場や肩書を取り外した一個の人間として相手を見ると、敬語は自然となりを潜めてしまう。

むしろわたしにとっては敬語を使っている時=相手と一定以上の距離を意識して取っている時。

 

距離を詰めようと思えば人間対人間という至極シンプルな構図になる。

そこに敬語なんて七面倒くさいもんが介在する余地はないだろ。

そしてそれは先日のセクハラの話にもつながる。

 

 

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どこまでいっても人対人。

キツめの冗談だって言うし、突っ込んだ身の上話だってするし、そんな自分をわたしはそれほどキライじゃない。

つかむしろ好き(ダメだコイツ

 

 

いつだって他人の姿は自分の鏡。
言葉づかいも行動も、自分に自信を持って、自由に楽しく行いたいものです。

 

 

改める気?
ありませんとも!あるわけねえだろバーカ!

 

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