日頃自己制御能力の高い人は、酔った時にほろりと本音に近いモノをこぼす。
はむぺむがときどき漏らすお決まりのひとつにこんな台詞がある。
「俺って、そんなに怖いかなあ」
たぶん飲みに行ったり、仕事関係の人と腹割って話したりするたびに言われるんだろうね。
普段は気にも留めない風に暮らしてるけど、腹の底では結構本人気にしている。
やんちゃな若い頃はさておき、男も不惑を越えた今頃になっては、必要なのはあくまで「貫禄」であって「威圧」ではない。
そこらへん、本人もよくわかってて、若いころに比べれば人当たりは意識して柔らかく、言葉づかいも丁寧に、声を荒げることもせず、笑顔もよく見せるようになってはきている。
でも人の人に与えるイメージってのはそう簡単に自分の意識したようにはならないんだよね。
「わたしこの人と結婚します!」って親に会わせた時に
「おお、なんという好青年だ、大事にしてくれそうだ、娘をよろしくお願いします」
って歓迎されるタイプでは絶対ない。
旅先で写真を頼まれることも、道を訊ねられることも、街頭インタビューに呼び止められることもまずないだろう。
それはべつに外見が怖いからって話ではない。
いやまあ怖いんだけど。
それだけじゃないっていうか、それ以上にその人の出してる雰囲気なんだよね。
人はわかりにくいものは警戒するし、敬遠する。
単純で熱血で穏やかでってのが一般的にもっとも歓迎される形で、腹にいろいろ含めてる黒そうなタイプは当然ながらあまり関わりたくないと誰もが思う。
そして実際、別にまったく黒くはなくても、思索の深い人間は思索の内容を理解できない人間から見ると限りなく黒く見えるわけで。
ほかにもいろいろ怖い人に見られる要素はあるんだろうが、まあこればっかりは仕方ないよな。
常に隣に侍るお人好しの権化のようなわたしの目から見ても、彼は一見極悪人ですから。
そしてお人好し権化のほうもそれはそれで不満がある。
幼い頃からずーーーーっと一貫して「いい人枠」な自分がとてもいやで、やさぐれたり世を儚んだり雑な言葉を使ったりポケットに手を突っ込んでナナメに世の中を見たり、と涙ぐましいほど「悪人に見られる」努力を重ねてきたが、ついに40余年悪人顔になれることはなかった。
いちおう断っておくけど中身の話じゃなくて、顔の話ね。
写真も頼まれる。道も訊かれる。街頭インタビューだって署名アンケートだって、みんなわらわら寄ってくる。ほんとうにうんざりするほど寄ってくる。
そんなに善人顔ですかわたし。
人の好さが全身から滲み出ちゃってるんだろうな。
この場合の「人の好さ」ってのはちょっと言い方悪いがほぼイコールで「愚鈍」と訳してオッケー。
それがゆえに悪人面になりたくてしょうがなくて、でもなれなくて今に至ってるわけだからさ。
善人面のわたくしと悪人面のはむぺむ。
言い換えれば能天気なわたしと怜悧なはむぺむ。
足して2で割りゃちょうどいい。
…ン?能天気要素、いるか?
顔には心が透けて映る。年を取ればなおさら。
自分を厳しく追い込むはむぺむはこれからますます悪人顔に、
毎日笑って笑って暮らしてるわたしは笑いジワの刻まれた善人顔に、
それぞれ磨きがかかって行くことだろう。
いわゆる「整った顔」ではなくても、悪だろうが善だろうが年を重ねるほど「いい顔」になっていけたらいいですな。
わたしが幸せそうな善人面なのは、はむぺむのおかげです。
…イヤちょっと待て。
それだとはむぺむが悪人面なのはわたしのせいってことになるな!?
せ、せめて晩年は二匹揃って穏やかな善人面になれてると、いいな…(急に弱気