書くことを仕事にしたいと思っていた時期があった。
子供の頃の夢話ではなく、ある程度大人になってから現実的に、って話。
結婚後しばらく経って、当時のパート勤め先のスーパーが潰れた後だったと記憶している。
求人広告で「ライター募集」の文字を見て無理やり売り込んでいって仕事を確保した。よく読めばその募集はあくまで「専門知識を持ったライター」向けだったんだが、当時若かった私は持ち前の社交力と押しの強さでいつのまにかそこで仕事をすることを許可されていた。
だが当然ながら「専門知識を必要とする」誌面を作っていたその会社においては出来ることは少ない。
山ほどの分厚い資料と首っ引きで原稿整理やいわゆる校正作業に精を出した。正直それですら知識のまるでないわたしには過酷だったし、会社側から見れば至極メリットの少ない仕事分配だったと思う。
本当に今更ながらよく雇ってくれたものだ。いまだに感謝しかない。
そこは資格試験対策本の編集を主に行っていた会社。
受験のためのメンタルケアみたいなことを書けと、勢いだけで吶喊してきた大バカ者のわたしに2ページの誌面をくれた。
このたった2ページのために何十回と書き直し、何十時間をかけ。
壁新聞作ってるみたいだなーとか思いつつ、最終的にプロのイラストレーターさんの挿絵がついて紙面になったときには本当に感動した。
唐突に突っ込んで行ったズブの素人にしては稿料もちゃんとした額頂いた記憶がある。
手元には完成した際にご丁寧に送られてきた1冊が存在する。今読むと文章的には結構ひどいが当時の感動はいささかも薄れない。
そして調べたら今でも売っていた。なんかこう、感激するなー。
その後もしばらくこまごました雑用を振ってもらっていたが、引越しを機に事務所が遠くなってしまったのでそのまま疎遠になってしまった。
書くことがお金になることが楽しい、と味を占めたわたしはその後、インターネットを駆使していくつかの仕事にありつく。
いまでも有効なのかは知らないが特定の単語を多くちりばめて検索上位に来るようにするのが目的なのかな?いっとき流行った(ような気がする)「キーワードライティング」ってやつ。
理屈はいまだによくわからないが、とにかくクライアントの指示通りに文章を書けばよかった。
作業自体はそれほど楽しいとは言えなかったが、その手のモノとしては報酬も悪くなかった。先方がいい方だったのだろう、ほぼ個人間の取引だったにもかかわらず一度もトラブルなく、1年近く続いた。
その後はWEB上で不動産会社のリフォーム案件紹介記事を書いた。
写真の配置や引用と内容紹介、感想などをまとめて1記事にするというもの。
ここらへんでもう完全に楽しくなくなっていた。
心にもないにもかかわらずスラスラと並べ立てる美辞麗句の羅列に、自分の中の「言葉の感覚」が崩壊しかかっていた。
それが自分にとっては限りなく危険なことに思えて、気づいた時すぐに辞めた。
以来、書くことを仕事にしたいとまったく思わなくなった。
わたしにとって書くことは楽しい。書くことは趣味。書いていると心が落ち着く。
大切な「正常な言語感覚」を売り渡してまで、それをお金に替えたくはなかった。
自宅で出来るというメリットこそあったが、報酬が莫大なわけはない。
似たような額なら時間を切り売りしたほうがよい、ということでパートやらバイトやらに出かけて行くようになった。
そのほうが精神衛生上もいいしね。
そうして書く仕事から離れてだいぶ経ったある日、はむぺむから社員旅行のチラシを作ってほしいと頼まれた。
行先は洞爺湖。
そんなんならお安い御用、と引き受け、ネット上で情報を収集し、5ページの力作を制作したのだが。
作っているあいだにだんだん「すでに行った気になった」自分にビックリした。
もうわたしめっちゃ洞爺湖行ったわ。
洞爺湖のことならなんでも聞いてよ。むしろ洞爺湖マスターだわ。
そのときのつくりかけ1ページ↓
作業自体は久しぶりだし楽しかったんだが、なんかこう…意外な弊害でした。
ちなみにこの5ページの力作パンフは諸事情により誰の目にも触れずに終わりました。
社員旅行も別の場所へ行ったし。
好きなことを仕事にするって幸せ、なのかもしれないし、そういう人も実際いっぱいいるんだろうけど。
少なくとも私は「書くことを仕事にしたら」好き嫌い以前に書くこと自体が根底から崩壊しそうな感覚を味わった。
もちろん自由に書いて金になるならそれに越したこたないけどね。
「自分の意思とは関係ない言葉を綴らされるのは苦痛」ってことがわかっただけでも、この数多の経歴はわたしにとって非常に良い経験になりました。