神様は意外と短気

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その昔、あるキリスト教系の布教に勤しんでいる方が自宅を訪れた。

当時(中学生くらい)私は別の宗教を熱心にしていたので、ハナから喧嘩腰でこの布教者と全面対決。

さまざまな問答を行ったのだが。

 

詳しく学んだわけではない(詳しく学びたいとも思わない)が、大筋で言えば「ヒトはいずれみんな神の御許で永遠に幸せに暮らせる」みたいな話だった。

まあ宗教は多かれ少なかれそういうものだから、主張自体はここでは特に触れない。

 

怖かったのは、そのあとの問答。

「でも神様のもとに行けるのはすべての人じゃないんでしょ?神様を信じない人はどうなるの?」

「神の威光できっと誰もが神を信じるようになります」

「それでも信じない人はどうするの?」

「排除します」

 

いきなりあらわれた暴力的な単語に当時のわたしはゾッとした。

その思想がつまり何千年にもわたって異教徒を平然と殺すものに繋がっているんだな。

 

宗教だけに限らないが盲信は怖い。

やってる当人は「そこからしか」モノを見れなくなり、「100%の善意」でそれを他人に勧める。

そしてそれが受け容れられないと、なぜ理解できないのかと相手をなじる気持ちが生まれる。

これを何度か繰り返すと、狭い(もちろん当人は狭いなんて思っていない)思考でガチガチに固まって行く。

そしてこれを解くのは容易ではない。

なんつったって経験者が言うんだから間違いないですよ。

 

ある意味、盲信したままゴールまで走り切れればそれはそれで幸せとも言えるんだけど。

道を変えるエネルギーは半端じゃないうえ、かつて同じ道を進んでいた人からは裏切り者とか根性なし呼ばわりもされちゃうわけで、たまりません。

 

いちどきりの人生。

どんな道を行くのか、いつでも強引にハンドル切れる程度の強さと自由さは持っていたいと思う。

たとえ他人から後ろ指差されようともね。

 

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