【ナンダコレ】通りすがりのイタリア人がうちにやってきて深夜にドタバタ殴り合いをした話

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飲んでいる酒が切れると買い出しに行くのは通常わたしの役目なのだが、その日は実に珍しく「一緒に買いに行こう」とはむぺむがお供してくれた。

 

最寄りのドラッグストアで酒とつまみを物色していると、碧眼金髪の外人男性が視界に入った。

もはや外国人が珍しいご時世ではないが、都会とは言いがたい微妙な場所に位置するドラッグストアで深夜カゴを持ってうろつく外国人はやはり少々異質ではある。少なくとも人目は惹く。

 

 

はむぺむは「酒呑めば皆友達」だと思っている生き物だ。酒さえあれば宇宙人とだって仲良くなれるとたぶん本気で思っている。

そしてわたしも基本、誰とでも仲良くなれる自信はある。ただわたしに関しては「言葉が通じさえすれば」という前提付だが。

 

hampemtarutaru.hatenablog.com

 

レジでわたしたちの前に並んだその彼のリュックが開いているのを目ざとく見つけたはむぺむが声をかけた。

胸のイタリアカラーのアクセサリーを見てイタリア系なのかと了解した。

彼はカタコトの日本語で応対。

はむぺむはとっくにできあがっているのでさらにちょっかいを出す。

 

そうこうしているうちになぜかボクシングの話になった。

どうやらイタリア人はボクシングが大好きのよう。

我々夫婦は格闘技全般好きなので、ちょうど先日行われた村田×ブランダムラ戦の話で盛り上がる。

そういえばブランダムラはイタリア人か。イタリア人は何度もファイティングポーズを取りながら「ブランダムーラ!」と連発していた。

発音が見事過ぎてわたしには「ランドムーア」にしか聞こえず、いまググったら全然引っかからないで焦った。

 

www.youtube.com

はむぺむは嬉しそうに「呼ぼうか。呼んでいい?」とわたしの顔を見る。

家散らかってるし、言葉が通じない一抹の不安はあったが二つ返事でOKした。

「ヘイ、カモナマイハウス!」

イタリア人の方もすでに多少お酒も召していたのだろう。それともイタリア人にとってはそんなの茶飯事なのかほぼ即答だった。

「OK!」

 

店に舞い戻ってイタリア人の所望するギネスビールとはむぺむ用の日本酒を購って、イタリア人を伴って帰宅。

さーなんかおかしなことになった。

 

 

イタリア人はジョルジュと名乗った。

いや、名乗ったかどうかもはやわからないが気が付いたらはむぺむがそう呼んでいたので以降イタリア人はジョルジュとする。

 

聞けば奥さんが日本人だったそうで、数年前に病気で亡くなったと語っていた。

なるほどそれでしゃべるほうはそこそこだけど日本語の聞き取り能力が高いんだな。

英語での会話を試みるが、わたしたちもカタコトだしジョルジュのほうもあんまり英語は好きではないようで、酒が進むほどイタリア語でしゃべりまくってた。

わかんねーっつーの。

 

そもそもちゃんとお互いの意を汲み取れているかすら不安だが、彼の言を信用するなら若い頃ボクシングを「仕事で」やっていた時期があったそうな。

ニュアンスで解釈すればたぶんプロボクサーのライセンス持ってたんだ、みたいなことなのかな。

たしかに小柄だが50歳とは思えない締まったいい体をしていた。

プロだったかどうかはさておき、ボクシングへの愛と情熱は理解できた。

 

そしてはむぺむは格闘技いっさいやったことはないが大好き。

生まれ持った頑強な体を若い頃に鍛えていたこともあって、体躯はかなりご立派。

酒が進むとふたりはスパーリングをおっぱじめた。

 

最初はじゃれ合う程度なので笑って見ていたが、酒が進んで熱が上がると見境なくなってくる。

そのうちふたりとも服を脱ぎだした。

さすがに経験者、ジョルジュのパンチは小柄ながら威力があるのは素人目にもよくわかる。

そしてはむぺむはなんといってもウェイトがあるので、つかまえちまえば圧倒的。

っていうかお前ら室内で深夜にノーグローブでそんな暴れんな。

実際からだじゅうあざだらけだったし。拳も傷んでたし。

 

 

飲んでは殴り合い、抱き合い、また飲んでは殴り合う。

ナンダコレ。

お互いの怪我がものすごく心配だったが、もうなんか笑いが止まらなかった。

 

ちょうどよかったのでとっておきのドンペリキャビアも開封。

せっかくいただいたけどなかなか機会がなかったしね。

 

hampemtarutaru.hatenablog.com

 

 

mottra.co.jp

 

ちなみにコレ、はむぺむは超お気に入りなんだけど、ジョルジュの口には合わなかったようだ。

花瑠&花星(おいる&おいすたー)牡蠣のオイル漬け (2個セット)

花瑠&花星(おいる&おいすたー)牡蠣のオイル漬け (2個セット)

 

 

 ジョルジュは最後のほうもはやほぼイタリア語しか発さなくなっていたが、そしてもちろんわたしらにはそれはまったくわからないはずなんだが。

はむぺむとはなにかしらわかりあっていたようだ。男の世界ってやつかね。

拳を合わせたもの同士にしかわからないっていうとなんかロマンがあっていいが、いわゆるボディランゲージはリスクもでかいなあ。

 

それでも要所要所で英語を架け橋にして、それなりの意思の疎通ははかれていた。

ジョルジュはしきりに「今日呼んでくれたから次はウチに来てね」みたいなことを言う。

日本の家にって意味だと思ったら、イタリアに来いって話らしい。

もしくは彼はブルガリアにも家があるそうで、なかでもキュステンディルという街は温泉もあって最高なのだと何度も何度も語った。

 

www.tripadvisor.jp

 

なんでもおじいちゃんがブルガリア人だそうで、ジョルジュはブルガリア語とチェコ語もできるんだそうな。

文化レベルの低いわたしにはもう挨拶すらわからんよ。

「コトオーシュー!」(琴欧洲)も嬉しそうに連呼してたな。

 

 

さすがに愛国心は強く、アメリカとフランスは嫌いだと言っていた。

政治的な話はカタコトで酒飲んでじゃ危険すぎるので深く語ってはいないが、例の日独伊の影響もあって日本とドイツは好きだと語った。

その際彼が、「ヒトラームッソリーニヒロヒト」と言うのを聞いて日本人としてはなんだかビックリしたものだ。

わたしらにとっては天皇だけど、外国人にとってはヒロヒトなんだね。たしかに言われてみりゃ当然なんだけど、ものすごい違和感はあった。

日本人じゃうっかりすると天皇の「名前」を知ってる人自体少なかったりするんじゃないか。天皇天皇だもんな。

文化の違いというか擦り込み思い込みって怖いもんだね。

(自分用メモ書き:満州についてはエコノミックを引き揚げたと認識している)

 

 

その後もカンツォーネをふたり揃って熱唱したり、また思い出したようにドタバタ殴りあって夜も更けて行きましたとさ。

 


Le più belle Canzoni Italiane degli Anni 80 - Volume 1

 

すんごい楽しかったけど、すんごいヘンな夜だった。

 

現在日本で何をしているのかは聞きそびれてしまったが(過去にはオペラで使う靴を作っていたこともあると話していた)、ジョルジュは6月に帰ると言っていた。

帰る先がイタリアなのかブルガリアなのかもわからない。

一応連絡先の交換はしたが、この先彼とまた会う確率は限りなく低いだろう。

 

でも、こういうのってなんかいい。

国際交流でもなく、友達づきあいでもなく、ほんとに通りすがりの一期一会。

人間対人間。いやひょっとすると人間でさえないかな、生き物対生き物。

 

 

後日はむぺむの体には痛々しいあざがあちこちに。

楽しい夜の代償ですな。ジョルジュはだいじょうぶだったろうか。

 

 

ジョルジュの首にさがっていたイタリアカラーのアクセサリーはいつのまにかはむぺむの首に移っていた。

 

大事なものなんだろうから返しなよと言うと「アミーゴ!」

 

友情のあかしとして巻き上げいただいたようだ。

 

 

Grazie!(←かぶれてみた

 

***

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口が悪いと損をするけど

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改めて言うまでもなくもう知ってるよ!って話だろうが、わたしは口が悪い。

とても悪い。非常に悪い。口が悪いっていうか、ガラが悪いと言っていいかも。

口が悪い・態度がでかい・馴れ馴れしいがわたしの三大特徴。つか言ってて情けなくなってきたが。

 

口が悪いのは結構昔からのようだ。自覚はそれほどなかったが最古の記憶は中学。

二者面談かなんかで学校に呼ばれた母が担任に「娘さんものすごく口が悪いですけど、おうちでもそうなんですか?」と聞かれたそうな。

わたしは先生には覚えのいい優等生的なコだったので(典型的嫌な奴だな)、たぶん友達とどっかで汚い言葉で喋ってるのを聞かれてそうなったのだろう。

ちなみに母も育ちのいいほうじゃないから、「はあ?」ってかんじのリアクションだったそうだが。

 

自分は思いっきり棚上げするが、言葉の汚い女子はみっともない。

口が悪いことでいいことなんて何一つない。

ざますだのごきげんようだのってレベルのものは必要ないが、ていねいで、他人が安心するような言葉遣いをできることこそ女子として最低限の社会性だし、それでこそヒトから信用も親愛も受けることができる。

 

そこまでわかっているのになぜ手前の悪口を治そうとしないのか。

これは態度がでかいことにも共通して言えることだが、それらがわたしにとって自分を守るすべだからだ。

 

わたしはものすごく気が小さい。めちゃくちゃビビリだ。

他人の顔色伺って、ビクビクしながらウロウロしてる、情けないほどかわいそうなほど小動物の類なのだ。

 

だけど、呑まれて喰われて嘲られるのには耐えられない。厄介なことに心臓は小動物のくせにプライドだけは一人前だからさ。

それで、無理して肉食獣の強さの欠片でも手に入れたいと自然に身についたのが態度のでかさと口の悪さだったわけだ。

アレだ、弱い犬ほどよく吠えるの典型。

 

もちろんオトナとして、最低限オフィシャルな場所では必要な言葉をきちんと使うことはできているつもりだ(つもりだ、あくまで)。

だがプライベートでは、弱い自分を悟られまいと必要以上にふんぞり返ってエセ江戸っ子みたいな乱暴な言葉を操り、トゲトゲした鎧を身にまとって生きている。

 

はむぺむといるとき、わたしに口の悪さはまるでない。

彼が好まないというのはもちろんあるが、彼の前ではがんばって意地張らなくていいから、なんだろうと自分では思っている。強い人間のそばにいるとき、無理して強さを気取る必要はない。

ほんとうの強さを持っているヒトは寡黙だ。吠える必要がないからだ。

 

思春期に比べりゃ少しは成長して、自分はヒトとして強くなったと思う。だからそれらの悪癖はそろそろ改善すべき時期なのかもしれない。

ところがいちど身についたものって、そう簡単にゃ抜けないんだよね。ビビリなのは相変らずだし。

 

だからどうか、この口の悪い大年増を、チワワがキャンキャン吠えてるビジョンを想像しつつ温かい目で許してね。無理な相談だが。

 

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 年齢性別社会的云々とか関係なく、ちゃんとしてる人はすべからくちゃんとした言葉を使う。

格別言葉づかいが綺麗であるとか気の利いた台詞を言えるとかではないけど、TPOにあわせた話し方ができる。

社会で生きてりゃまわりのいろんなものに合わせてカスタマイズしていく必要性に迫られるため、当然そうなる。

 

偉くなればなるほどちゃんとした話し方ができる。

ちょっと卑屈なんじゃねーの、と思うくらいちゃんと話せる。

だから、さすがね、って言われるわけで。相乗効果ってやつか。

 

「ちゃんとした」=社会に適合した、とか、もっと言っちゃえば「無難」。

いちいち突っかかっちゃいらんないし、無難な話し方をしておけば他人にいらぬ感情を発生させることもない。

だいたいちゃんとしてる人はちゃんと中身があんだから、それで勝負すればすむことだからな。

 

よくわかる。よくわかってる。

ちゃんとした場面でちゃんとした話し方ができることが、どれほど有利なことか。

 

そういうのわかったうえで、それでもわたしはだからこそ話し方を改善したくない。

 

ちゃんとした口を利くことはいくらでもできるし、日常にそれを取り入れるのも可能だとは思う。

そうすりゃまわりの多くの人がわたしを見る目も変わることだろう。

 

でもなんか違う。

人にはいろんな譲れない部分ってのがたぶんあって、わたしにとっては口が悪いって部分がソレなんだろうな。

 

…うわ、自分で言っててちょっとヤダ。もっと他にねーのかよ。

 

***

 

わたしは誰に対してもタメ語。

接客用の仮面をかぶっているとき以外は基本相手が誰だろうとそれは変わらない。

意識して敬語を使ってても、途中から気が付くとタメ語になっちゃってる。

相手がどんなエラい人でもそれは変わらない。

 

そしてそこには、相手と自分は対等であるというメッセージを込めている。

後付のイイワケではなく、立場や肩書を取り外した一個の人間として相手を見ると、敬語は自然となりを潜めてしまう。

むしろわたしにとっては敬語を使っている時=相手と一定以上の距離を意識して取っている時。

 

距離を詰めようと思えば人間対人間という至極シンプルな構図になる。

そこに敬語なんて七面倒くさいもんが介在する余地はないだろ。

そしてそれは先日のセクハラの話にもつながる。

 

hampemtarutaru.hatenablog.com

どこまでいっても人対人。

キツめの冗談だって言うし、突っ込んだ身の上話だってするし、そんな自分をわたしはそれほどキライじゃない。

つかむしろ好き(ダメだコイツ

 

 

いつだって他人の姿は自分の鏡。
言葉づかいも行動も、自分に自信を持って、自由に楽しく行いたいものです。

 

 

改める気?
ありませんとも!あるわけねえだろバーカ!

 

***

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時間はあるのに時間がない

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いろいろと動きがのろい生き物だ。

うん、いや、実際はわりとせっかちだし、しゃべるのも早口だし、足は速くはないけどこまねずみみたいにちょこまかしてるほうだ。素早いと言うよりは落ち着きがない、のが正しい表現。いい歳してホントアレだわ。アレって何だ。

 

のろいのは、脳の働き。

とくにものごとをじっくりゆっくり考える時、わたしは相当な時間を要する。

たとえばブログ上に過去何本かわりと固め長め真面目な記事をアップしているが、これらは書きはじめから公開までたぶん4~5時間かかっている。

 

hampemtarutaru.hatenablog.com

 

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書くこと自体には時間がかかるってほどではない。書きはじめると1時間もかからずすらすらと文字を量産することができる。

ただ、書きはじめるまでの脳内整理と、書き終えた後の推敲に時間がかかるのだ。

 

あと途中で止まった時も再開まですげえ時間かかる。

トイレとか、お茶入れてこようとか、来客とか、とにかくいっぺん中断すると中断時から再開することができない。

また頭からぜんぶ見直し読み直し組み立て直し。

一度途中で止まってしまうと最初にイメージしていたものとは全然違う仕上がりになっていることもそう珍しくない。

 

 そんな不器用な脳の持ち主ゆえ、時間の使い方がものすごいヘタクソ。

「30分」という時間を、通常人は「長い」と思うか「短い」と思うか。

わたしにとって30分って「ものすごい短い」。

 

たとえば仕事だったり、家事だったり、買い物や移動についての「時間の感覚」はたぶん他人とそう変わらない。

30分あれば食器洗って洗濯物取り込むことができるし、近くの店に行って買い忘れた海苔を買ってくることもできる。

だが「ものを考える」ことが伴う作業となると、途端にわたしにとって30分は「全然足りない、短すぎる、30分じゃなんにもできない」時間になってしまう。

 

 要するに脳内の「並列処理」ができないんだよな。

 

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 30分後に控えている「なにか」に意識が行ってしまうから全然集中できない。

だったら予定を前倒ししてあとでまとまった時間が取れるほうがわたしにとってははるかにマシだ。

 

当然こうして何か書いたり考えているときには基本無音。

テレビやラジオなどの「言語情報」が伴うものは邪魔、雑音でしかない。

自分の思考の言葉に外部からの言葉が混じってしまう。

歌詞の付いた音楽ももちろんつけない。

正直、演奏のみのBGMでさえわたしの脳には余計な負荷になる。

 

 

hampemtarutaru.hatenablog.com

 

近頃はむぺむの自宅作業が増えている。

相変わらず激務続きではあるが、おなじ徹夜作業でも自宅でやれるのはありがたいことだ。

それ自体はわたしにとっても嬉しいことではあるのだが。

 

 

はむぺむが気になってまとまった思考ができないという意外な弊害が発生している。

 

 

まあこれはちょっと考えれば当たり前のことだった。

わたしの人生における優先順位は何をおいてもはむぺむ第一。

 

はむぺむがいない退屈な時間を埋めるためにやってる趣味としての思考なんだから、優先順位の高いはむぺむが在宅している以上、そっちに集中なんてできるわけない。

 

 

そういうわけで、そもそもTOP絵も追いついてないし、思考に費やす時間が必要になりそうな内容、結構なボリュームになりそうなので先送りになっている案件がいくつか。

 

書きなぐり書き捨てで行ければいいんだろうけど、そして本来はそういうタイプなんだけど、それをうまいこと制御してくれているのがTOP絵編集だったりもする。

それがめんどくさいおかげで推敲なしの乱文上げまくりという暴挙が防げている、って意味。

何が幸いするかわからんな世の中。

 

***

 

この場を借りて連日たくさんの読者登録、ブクマ、コメント、スター並びにご訪問まことにありがとうございます。とても嬉しく思っています。

 

 

大変お手数ですが以下の2ページをお読みいただいたうえでお付き合いをしていただけると嬉しいです。

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今後もスタンスは変えずに、時には攻撃的だったり偏見まみれだったりする記事が上がることもございます。

ここはわたしの城ですので、わたしの好きにやります。

読んでくれる人のことなんてこれっぽっちも慮りません。

 

ですので、登録も解除もお好きになさってください。

読むのも読まないのもあなたのご自由に。

それでも読んでくれるアナタ、愛してる!!

 

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【小ネタ】夜道の心配事

きょうは2コマで失礼

 

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いやいないのわかってるんだけどそんなん。

強盗とかだよね、現代語訳すると。

 

たぶんこんとき歴史系の本読んでたんだろうと思う。

 

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吉川三国志はわたしの生涯の愛読書です

 

 

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【リーダーの条件】隊長、モチベーションがあがりません!【責任感と責任者】

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今日はたぶんさらに無駄に長いです。適当に流し読み推奨。

 

リーダーの資質やらチームの有りかたやらってことを書こうと思ったらまた過去ログからそこらへん関係を発掘した。載せる3本は5、6年前のもの。

でも探してた肝心のやつはついに見つからなかった…。

 

***

 

『アナタがいないとダメなのよ』ってのは、プライベートではそれほど問題ないが、企業とか組織としてはNGだよな。

そりゃもちろん、必要な人間ってのはどこにだってもちろんいて。

できる人、頼りになる人、軸になる人、がいるからいろいろうまく回っていくものだ。

 

とはいえ据付ロボでもない限り、人間はいつ突然離脱せねばならない事態になるかわからない。

ってなこと当然のようにわかっているから、普通は後進の育成を同時進行で進めていくわけでさ。

 

緊急時に、通常時の10割までいかなくても7~8割の能力は出せるように体制を整えておく。

そうしておけば、万が一アナタがいなくても大丈夫、いや大丈夫にしてみせるから安心してよ、と快く離脱する人を送り出せることになる。

こうしたシステムが整っている組織は環境がよいと言えるだろう。

 

こういうときって(意外と触れられることは少ない気がするんだが)、離脱する側の心境って実はけっこう複雑だ。

「アナタがいなくても大丈夫」ってのは、自分の育ててきた後進たちの頼もしい成長ぶりが嬉しい一方で、「もう自分は必要ない」とも取れるから。

いざ帰れますので帰りますってときには自分の居場所なんてないんじゃないか。

ここらへんが女性の社会進出のムズカシイ部分なんだろうね(おお、なんか社会的)。

 

余人をもって代え難し。

離脱する側はそう言われるのは嬉しいが、見送る側は歯を食いしばっても言ってはならない台詞なわけか。

 

もちろん、自分の旗立てて生きてる人たちは代わりなんていやしない。

個人で開業してる人、企業や組織のてっぺんあたりにいる人。

 

彼らに求められるのは人柄?技術?才能?

いやいや、何をおいてもとにかくタフさ。

スペアがないんだから、長期使用によく耐え故障しないタフなマシンじゃないとね。

 

***

 

 

複数人数で共同で何かを作業していると、「誰かがやってくれる」って意識がある。

連帯責任という名の丸投げ。責任は自分ひとりが取るわけじゃない、場合の無責任さ。

そこそこにがんばっていけばいい。万一ダメだったとしても、俺のわたしのせいじゃない、もともと無理だったんだよ、という言い訳。

 

 

そのために、要は責任をとるために責任者と名前のついた人が存在しているはずなのだが、この責任者自らすら責任感が希薄な場合も少なくない。

もちろん実損害を直で蒙ることがない、場合に限るが。

 

てっぺんのてっぺんにいる人や自営業の人にはそんな感覚あり得ない。

責任云々以前にシビアに死活問題だ。

 

サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだってのはこういう感覚の有無なんだろうなと思う。自営とかの人は失敗したら首でもくくろうかという、のるかそるかで暮らしてるわけだからさ。

 

もちろん意識の持ちようは個人によって様々だし、責任感の強い人にとっちゃどんな仕事だって気楽ではありえないけど。

 

そうしてなにやら世の中はしっかり回っておるわけだが、回ってるってことはたぶんどっかで誰かがスゲーがんばって物理的に無理なことをなんとかし続けてるわけだ。

 

このスゲーがんばる人って責任感がメチャメチャ強い。

俺がわたしがやらなきゃ誰がやるっていつもいつも思ってる。

同胞達が「こりゃダメだ」ってさっさか荷物まとめて沈没船から逃げ出していっても、最後の最後まで船に残って存続に尽力する。

逃げた奴らを悪く言うでもなく、黙々と、誰がケツまくるか!って歯を食いしばって自分に言い聞かせながら自分に課した責任を全うしようとする。

 

こういう人ってたいていはあんまり自分から言わないからわからないけど、結構数多くひっそりと生息している。

すばらしいことだ。

 

だが、じゃあこういう責任感の強い人たちがみーんな責任者になれば世の中万事うまくいくかってーと、これが案外そうでもないんだな、おもしろいことに。

 

責任感の強い人って、ほぼイコールでストイックだ。自分が当たり前にやれることは他人もできるだろうと思ってしまう。誰よりもがんばるから、姿を見てるだけで下の人間にはプレッシャーがかかる。

あの人があんなにがんばってるんだから俺らもやんなきゃマズくねえ?

 

言うまでもなく基本的にはいい影響なのだが、残念ながら世の中前向き前のめりに生きてる人ばかりじゃない。テキトーに肩の力抜いて、そこそこラクしながらおもしろおかしく暮らせりゃそれでいいや、って人も結構おる。

 

そういう人にとって「責任感の強い責任者」はあまりにも重く息苦しい存在だ。

 

ちゃらんぽらんとまではいかないが、責任者はそこそこの責任感でいいし、能力が格別高くある必要もない。

なまじ責任感の強すぎる責任者はなにもかも全部自分でやろうとして無茶をし過ぎる。

ほどほどで充分。

 

ただ、いざというときの潔い覚悟だけ持っててくれればそれでいい。

 

どんと構えてできる部下に実際の指揮を取らせ、責任は俺が取るから思いっきりやってこいや!と言えるだけでいい。

信頼された部下は感激して能力以上に働くだろう。

 

戦国時代やらの主従と構図としてはなにも変わらない。理想の責任者は理想の主君。

 

会社やら組織やらに所属している人もしていない人も、自分の人生だけは自分の責任でやっていかなきゃいけないのは言うまでもなく。

責任感とアバウトさを上手に天秤にのせて暮らしていくのもなかなかに難儀なことですな。

 

***

 

たとえば10人1チームでタスクに取り組むとき、一番にしなきゃいけないのはリーダー決め。

次にタスク内容に沿ってたとえば2工程に振り分け、チーム内の戦力を割り振りする、のだが。

 

2チームに分かれる場合はそれぞれのチームでリーダーが必要。

だから「サブリーダー」とか「副部長」とかの名称が必要なんだな、って最近わかった阿呆ぶりなんだけどさ。

 

指揮系統をはっきりさせ、絶対権力者がいればなお良。

さらに、それぞれのチームリーダーは工程内の頭数に入ってはいけない。

リーダーとは名ばかりの遊軍であるべきだ。

 

問題発生時の対応はもちろん工程を妨げるようなつまらない雑用なども一手に引き受ける。

そうすれば残りの4人がスムーズに作業できる。

 

どんなチームでもそうだが「全員が一丸となって」ってのは、みんなで1個のボールに群がれって話じゃない。

全体が見渡せる人がいて、ボールが外に出てっちゃったときにいつでも拾いに行ける人がいて、ようやくチームがチームとして機能するわけで。

 

リーダー気質の人は前線が好きだったりすることもあって真っ先にボールに群がって行っちゃうこともしばしばあるが、チームとして稼働するには言わずもがな各ポジションの役割を果たすことのほうが重要なときってあるんだよな。

 

遊軍、遊撃隊ってのは集団にとって絶対必要なポジションなんだが、世間のソレに対する理解って案外低い気がする。

 

***

先週くらいに書いたこれも多少関連してるかね。

hampemtarutaru.hatenablog.com

***

先日ちょっと触れたが最近おつとめ先のお店に対して愛情が薄れている。

 

hampemtarutaru.hatenablog.com

チームのメンツと励まし合ってモチベーションを上げていければいいのだが、ウチの店はチームメイトたちのバランスがいまいち。

 

現場の隊長は一見「ワッショイ、テンション上げていきましょう!」みたいなタイプに見える。

でもテンションとモチベーションは違うんだ。

 

www.motivation-up.com

最前線で戦う部隊を率いる人に必要なのは「人心掌握術」。

部下に愛され尊敬され、まっさきに踊り込んで行ったときに「あのひとを死なせるな!」って言われる人じゃないとね。

 

 

…え、わたし?

一生一兵卒でいいです。一兵卒がいいです。

 

***

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【ハラスメント】セクハラの定義【ハラスメント】

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今日たぶんすごい長いです、お暇な時にでも。

 

 

ハラスメントが大流行りの昨今(←言い方不謹慎)。

 

セクハラだパワハラだって話について書こうと思ったら、10年くらい前に自分で書いたものを見つけたのでそのまんま載せてみる。

 

なんせ10年前なので文章的にも主張的にもいろいろヒドイが、根幹思想はそれほど変化はないのでとりあえずどうぞ↓

 

***

 

わたしは何が何でも女性の肩を持つというタイプでは全然ないが、セクハラに苦しむ女性の気持ちはよく理解できる。痴漢も同様の考え方でいいだろうと思うのだけど、この場合は精神的セクハラの話。つまり話の内容とかで行われるセクハラつーことで、上司から言われる「色っぽい足だね」だの、元彼に言いふらされる性的な性癖やら、ということだね。

 

女の感情というのは、男の思いも寄らないところでひどく傷つくもので、ことに性的な話は男性の数百倍も女性は敏感である。もちろん個人差はあるが、人によってはたとえば誰々とキスをしたというハナシが広まるだけで自殺でもしようかというところまで追い込まれることもある。大袈裟に聞こえるかもしれないが事実だ。

 

ここらへん、正直わたしがシモ系のハナシを嫌う理由と密接に関係している。わたし自身は精神的に繊細でも弱くもないし、仮に職場で自分に対して精神的セクハラを感じるようなことがあっても対応は可能だ。だが誰もがそうであるとはいいがたい。

 

もちろん男性側の反論も多々あるだろうし、そちらの言い分も非常によくわかる。そんなものまでセクハラと言ったら女性と会話なんかできねえよってなるのも至極もっともだし、女はもっと図太くなるべきだとも思う。

 

だけど、あたりまえの事だがどうしたって女性は女であることをやめられないし、それはもちろん男性も同様だ。

 

ここからはちょっと極論の私論だが。

女性という性別の特徴は、男性から見ると性的欲求のはけ口の対象である、という図面は今も昔も変わっていない。

言い方は悪いがこれは風俗などの存在を見れば否定しがたい事実だろうと思う。もちろん最近ではそういったものの逆転現象が起こったりもしているが、それでも今なおその数を見れば圧倒的に女性という性別はそういうものであると言えるだろう。

 

これを前提にすると、本来男女雇用機会均等法などあること自体がおかしいと、わたしみたいな極端な人間は結論付ける事が出来る。男女は平等ではない。平等でないがゆえに、女性は女の権利を行使する事が出来るのだ。

 

なんかハナシがあちこちに飛んでまとまらないが、主張の論点は以下のとおり。

・男女は平等ではない。差別されるべきではないが区別はされてしかるべきである

・それを大前提に、女は男の想像を絶すること(特に性的なこと)で精神的苦痛を感じることがあるということを男性は知らねばならない

・女性の主張は絶対ではないしそれは必ずしも法的に守られるべきものではないが、男性は少なくともその差を理解して心遣いをすべきである

・なぜならば子孫を残すために女性は絶対必要なものであるのだから

てなところ。

 

性についてごちゃごちゃ書いてきたが、しかしながらセクハラ問題がそれらと密接に関係しているともあながちいいにくい部分もある。

つまりセクハラと感じるかどうかは人と人との付き合いのなかで発生するもんであって、言ってみればそれは男女の差はあまりない。たとえば喧嘩をした女友達に職場で性的特徴をいいふらされても、やっぱりそれは精神的苦痛を受けると思うからだ。

 

・セクハラはとどのつまり性別問題でなく、人間関係のこじれの延長とも言える

 

というのはわたしなりのセクハラ定義の暫定結論。

 

ちなみに性的なハナシを極論で言えば、男女の生息区域を分けるべきだし、女はアラブの女性みたいに顔も体も隠してこっそりひっそり生きるのが正解だと、わたしみたいに極端な人間は思うのだ。あくまで極論だけど。

 

***

 

うーん、差別意識や問題発言も盛りだくさんでしたね我ながら。

 

過去に自分の書いたものそれなりに残してあるんだけど、20代の頃に書いたやつって恥ずかしいほど尖ってんだよね。ベロベロだし。今読むのかなりキツイ。

上記の文章は30代に入ってようやく少し落ち着いてきたかなって頃に書いたものなので、まだ若干先端がチクチクするくらいの内容になってますな。

過去に書いた文章を晒すのはすんごい恥ずかしいけど、仮に書き直したら全然違うものになっちゃうのわかりきってるから仕方なく。

今でも充分恥ずかしいだろってツッコミは問答無用で却下な。アーアーキコエナーイ
 

 閑話休題

 

もう一本、ハラスメント自体について書いたもの。こちらも10年近く前の筆です↓

 

***

 

なんたらハラスメントというのは今非常にたくさんある。セクハラだパワハラドクターハラスメントにアルコールハラスメントなんつー言葉まである。もう何がなんだか。

いやがらせなんてのは古今東西枡で計って車に乗せるほどあるわけだから、今後もこうしたえらそうな名前を冠したハラスメントは増えていくのだろう。

 

分類分けして名前をつけて状況を把握することは確かにとても大事なことだと思う。少なくとも当事者/被害者にとっては「自分はひとりじゃない」「自分がいけないわけじゃない」「自分だけが理不尽な思いで苦しんでるわけじゃない」とかいうふうに心の支えになったりするだろうからさ。

 

そうして助かる人がいるいっぽうで、そういったものを悪用・濫用する人はやっぱり古今東西どこにでもいるわけで。

いや、悪用濫用なんて自覚があるのはまだマシなほう。最悪なのは「セクハラだ」「パワハラだ」と社会的に認知されている言葉を「盾」にしてメチャクチャな自己主張をするような人、結構いる。

 

もっともそれはハラスメントに限らない。精神的病なんかもそうだ。

外から見たらわからない精神世界のことだから、真偽の見極めは素人には到底無理。本当の病なのか、それとも自称してるだけなのか他人にはわかりっこない。

それをいいことに「わたしは病気なのよ!病気だからしょうがないじゃない!」

オールOK免罪符。病といえば誰でも何でも許してくれるから。同情してもらえるから。

そんなごく一部の勘違いドバカ共のおかげで真剣にハラスメントや精神病に悩んでいる人たちまで色眼鏡で見られてしまうってのが現在の状態といえるだろう。

 

さて、なんとかハラスメントというものは要するに嫌がらせのこと、という解釈でだいたい間違いないだろうと思うんだが。

健康で健全に強く暮らす老若男女のなかには、ちょっと意地悪な人や口の悪い人はいる。それはなんとかハラスメントに該当するほどのもんじゃないかもしれないが、ときには人をムッとさせたりする種類のものかもしれない。

 

そういう人にむかって「パワハラですよ!」「セクハラですよ!」「モラハラですよ!」って訴えたとして、その言葉に無意識に抑圧されて言葉の自由を奪われたとしたら、それもやっぱりハラスメントって言えるんじゃないのかい?

そうさね、ハラスメント・ハラスメントとでも呼んでおきますか。

 

言葉は符号として分類分けにも便利だが、使い方次第でとても不自由なものにもなる。

なんでもかんでもえらそうなお名前つけて振りかざしてるより、隣人とお天気について語っているほうが言語を持った文化人としちゃ正しい生き方じゃないかしらん。

 

 ***

 

こっからはいまのわたくしが書いてます。

 

たとえば「尻を触る」という行為ひとつとっても上司と部下、客と店員、恋人同士、立場や関係性によってまるっきり意味合いが変わってくる。

そういう性質ゆえ「傷害」「殺人」などとちがって、法律で明文化して罰則を設けるのはきわめて難しい。

 

そりゃそうだ、かみさんの尻触って罰金とか懲役ってなんじゃそりゃって話だもんな。

そのための結婚という制度なのかな、とかもうこの手の話は痴漢とか体罰とかいじめとか性別問題とか働くこととかいろーんな要素の話と密接に関係しまくっちゃてるのでここではまとめきれないから投げておく。

いつかまとめられたらいいなとは思っているが、たぶん何十年もかかるうえに広辞苑くらいの厚さになりそうだわ。

 

たとえば社内パワハラでしばしばボッコボコにされるとか、社内セクハラで脅迫、恫喝などを受けて貞操を侵害されるとか、実際にあきらかな「被害」「法的な問題」が発生しているハラスメントを受けている方は、迷わずいますぐ法律専門家に相談してください。とりあえず一刻も早く。

ここらへんいじめと一緒です。自殺や退職に追い込まれるレベルまで我慢する必要はありません。味方はいます、絶対に。

 

線引きがあいまいだからむしろ実害を蒙っている人が声をあげにくいという現状があるんじゃないかと思う。

「立件」できれば「犯罪」。そしたらハラスメント実行者は「犯罪者」。

無理矢理キスとか胸揉まれたとか、実害に遭った場合はアナタは「自分から声をあげさえすれば」被害者です。

ただし泣き寝入りしたらそれまで。

なんも迷う余地はないだろ。

 

言い換えれば、立件が難しいハラスメント、つまり言葉のみの各種攻撃をいかにすべきかって話なんだよな。

 

そういった「曖昧な」「精神的な」モノを守ろうという向きも悪くはないと思うけど、個人的にはこうやってなんでもかんでもあげつらって囃し立てる風潮になればなるほど、人間、あるいは日本人自体のコミュニケーション能力がどんどんどんどん低下していく気がする。

いやむしろ繊細になりすぎてるといえるのか。鈍さや図太さ、図々しさとはどんどんかけ離れていく。

世代間の隔絶が深まって行くばかり、っていうか。

そうやってばっさり旧式なものを切り捨てていく新人類(死語にもほどがあるな)若者たちがどんな未来を創るのかももちろん見てみたい気はするが、急には世の中変われない。わたしも含めた旧人類をいますぐ一掃することはできないからさ。

 

 

最後に女性諸君に質問。

「おっぱい触っていい?」

と言われた相手が、誰なら笑って許せる?誰なら許せない?

 

わたしは旧人類なので、相手が「誰でも」笑って返すことができるよ。

言われるくらい痛くもかゆくもないもん。「ダメ」って言えばすむことじゃん。

(一応お断りしておきますが見ず知らずの男性に路上でいきなり上記のことを言われたらさすがにダッシュで逃げます。そんなんもはやコミュニケーションとかそういう問題じゃないからな)

 

それでダメって言ってから相手がどう出るか、ではじめて立件可能なハラスメントにつながっていくわけだろ。

拒否という明確な意思表示をしてるのに触られたら犯罪成立。

それを逆恨みして仕事やプライベートであきらかないやがらせやいじめを受けたら、そこから対応策を考えればいい。

言葉のやりとりだけの「入り口」でああだこうだ言うのって、ますます状況をこじらせるだけって気がするのだ。

 

もちろん「トラブルを未然に防ぐ」観点で言えば発言段階でごちゃごちゃ言いたくなるのもわからなくはないが、人と人との言語のやりとり上の関係性すべてを法律でカバーするのが難しい現状では、コミュニケーション能力を磨くほうがよほどトラブルを防ぐ効果は望めるんじゃないか。

 

そして男性諸君は、欲望に上手にオブラートをかける技を覚えてください。

これはもう老いも若いも問わず。

おっぱい触っていい?ってダイレクトすぎて面白くもなんともないわ。

アホか。むしろウケるわ。

 

やれセクハラだパワハラだって喚きたててみんなでお互いの顔色伺いながら無難な言葉をセレクトして生きていくのって窮屈じゃないかい。

表現の自由とか言葉の面白さからどんどん遠ざかってはいないかい。

冗談まじりな会話もできないような社会って、どうにも味気ないんじゃないのかい。

 

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クラスメイトのAくんを好きになったのは桜舞い散る4月のこと。

横顔を眺めるだけでは飽き足らず猛烈にアタックを開始。

だがAくんは部活動に忙しく、熱烈ラブコールなんてどこ吹く風でスポ根青春まっしぐら。


飽きず懲りずに想い続けて追いかけ続けて数ヶ月。

想いがピークに達したのはAくんの部活動最後の夏の大会。

ああなんてカッコイイんだろ。もう地球上の何よりもAくんが好き。

Aくんに愛されるためなら何を投げ打ってもかまわない。


秋が過ぎ部活を引退したAくんは恋をする余裕ができた。

とうとう想いに応えてくれるときがきたようで、雪の舞い散るある寒い日なんとデートのお誘いを彼じきじきにしてくれた。

 

 

だけど、ああだけど。

もうそのときにはあの熱い想いは冷めちゃってるんだ。

気温の上昇とともに盛り上がった想いは気温の低下ととともにしっかり冷めきっちゃった。

 

えーと、今更?もうなんか、どうでもいいんだけど。

 

 

ヒトとヒト、ヒトとモノ、ヒトと何か、いろんな出会いがあってその出会いには縁がつきまとう。

縁がなければどんな出会いも無駄だし、縁があれば瞬間のすれ違いさえ重要なものとなる。

 

そしてそこにはもうひとつの重要要素があって、それがタイミング。

逃すとせっかくのご縁も台無し。


自分のペースで生きていると、機を逸してハンカチ噛むよな事態になりかねない。

 

じっくり考えて臨戦態勢を常に整え、いつでも走り出せるウォーミングアップを怠らず、しかも走り出すタイミングを瞬時に見極めなければならない。

フライングもダメだしスタート失敗したらやっぱりダメだ。難しい。

 


でもこの「時」というものをがっちり掴んだときって、何にも勝る喜びがある、気がする。

 


ある意味「時」に支配されることが必然の人生だからこそ、それを制御していくことはヒトに生まれた課題の一つなのかもしれないな。

 

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 機を大事にすると突発的な行動が増えます

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